2024/03/11 11:05
本日のお話といたしましては、鯨肉の学校給食における歩みに、また学校給食への想いについてお話させていただきます。
当社のHPに一つの質問をいただきました。
「鯨肉を使用した学校給食は、いつから始まり、いつまで提供されていたのか」
このご質問の答としては、
世代や地域によって大きく差はありますが、始まりは戦後1960年頃。
鯨肉は学校給食の献立として取り扱われ、1969年には全国ほとんどの子どもたちへ提供されていました。
ですが、1970年頃から約30年間は他畜産肉の輸入量の増加や、
商業捕鯨が禁止されたことによる価格高騰が主な要因となり、鯨肉が子どもたちのもとへ届くことはありませんでした。
ただ、2001年頃から再び歩みを始め、現在では関西の学校給食を中心に取り扱われています。
「いつまで提供されていたのか」というご質問でしたが、これは決して過去の話ではなく、
鯨肉の食文化は今もなお受け継がれている、ということがご質問の答になるかと思います。
以上簡単な回答となりましたが、この機会にもう少し詳しくお話をさせていただければと思います。
冒頭で少しだけお話いたしましたが、
鯨肉(学校給食における)への感想というのは、世代や地域によって大きく異なります。
まずは、鯨が学校給食としてよく食べられていた今と昔について。
上記の年表を基にお話すると、現在50~60代の方々は学校給食で鯨をよく食べていた世代になります。その方達にお話を聞くと、「お肉と
言えば鯨だった」「味がしっかりしていて美味しかった」など、鯨に対してポジティブなイメージを持つ方がほとんどです。
また、鯨を使った学校給食が再開された2002年以降の、10~20代は「毎年給食に出ていて定番メニューだった」「友人と美味しいと言いな
がら食べていた」など、鯨肉が美味しい「食文化」として受け入れられています。
着目したいのは、30~40代の世代。年表でいうと1970年以降で、鯨が学校給食ではほとんど提供されなくなった時期です。その方達が持つ
感想は、「鯨なんか食べたかな?記憶がない」「食べたらいけないのでは?」と、鯨に対し興味関心があまりない、もしくは少しマイナス
なイメージが伺えます。
ここから読み取れることそれは、食べる機会がないものは「食べなくてよいもの」として認識され、さらには「食べてはいけないもの」と
いう観念が生まれてしまっていることです。そして、この固定観念が徐々に広がり、鯨肉が、鶏肉や牛肉のように当たり前に食卓に並んだ
時代から一変して、鯨肉が食べ物として受け入れられにくい時代となりました。
北海道や山口県、和歌山県など、国内の一部地域では捕鯨と密接な関係があることから、世代を超えてもなお、その食文化は継承されてい
ます。
ただその一方で他地域では、鯨は食べ物として興味関心すら持ってもらえていない、という現状があります。
もちろん、牛や豚、鶏などの畜産で、現在の食の多くが賄われていることは事実です。ただ、この当たり前の様に食卓に並ぶ食材も、近年
では飼育環境の悪化による感染症の発生や、放牧による自然環境の悪化などを引き起こす要因として度々議題にあがっています。
今日、ここで私が皆様にお伝えしたいことは、、、
「牛だから食べていい」「鯨だから食べてはいけない」という議論は!
決して重要ではないと言う事です。
私たちに大切なことは、多様化する価値観の中で食に関心を持ち、様々な命をいただいて「生」があると改めて考えること。また、これか
らの長い未来を見据えて、人と食糧資源のバランスを考えた行動をとることだと、私は考えています。
そのため奥野水産では2001年より、大阪府・京都府・兵庫県で、鯨の学校給食を再開させ、学校給食を通して日本の食文化を伝えること
で、食への興味・関心を持ってもらうことに尽力してきました。これからも、子どもたちが鯨を美味しいと感じ、鯨を入り口として「食」
への関心が高まることを切に願っています。