2024/02/27 08:13


鯨の肉は、いつまで大阪の学校給食に出ていたのか


こんにちは!大阪の鯨屋、奥野水産4代目奥野良二です。

その質問の答えを私が解説させていただきます。

この質問には相手の年齢や地域で、鯨肉ほど大きく違いの出る食材は、他にありません。

その理由を、関西で鯨肉の献立が学校給食で実施された年代に沿って説明いたします。

(※以下の年表記は学校給食の献立実施年を記載している為、16学年分の年齢幅を考慮し年齢を記載しています。)


鯨給食の年代別に調べてみました


 1960年(昭和35年) ~ 1969年(昭和44年) 

当時、ほぼ全国的に鯨肉が学校給食で出ていました。

1962年(昭和37年)に鯨肉の国内消費量が23万トンのピークを迎え、安価で栄養面でも優れていた食材の鯨肉が、学校給食で利用される事

がほとんどでした。

確実に鯨肉を実食した経験のある64歳~55歳の年齢層です。


この方達の共通した意見は

「美味しい」

「懐かしい献立」

「昔は給食でよく出た」

「肉と言えば鯨(肉)が当たり前だった」

「味がしっかりして美味しい」

「少し硬いが食べ応えがあり美味しい」

と回答した方が多く、鯨肉に対して美味しいと感じた方が多いです。


 昭和50年代の鯨給食の実施にはバラツキがあるのを発見


 1970年(昭和45年) ~ 2001年(平成13年) 

ここから、鯨肉の実食体験した年齢と地域にバラつきが出てきます。

鯨肉の国内消費量は1970年以降、他の畜産肉と比べ下降の一途をたどります。

鶏肉や牛肉等の生産性や輸入量が増え価格が安定し、(鯨肉に代わり)消費の増加が原因のひとつ。


それに加え、1988年(昭和63年)商業捕鯨禁止により、国内の鯨肉の流通量が激減し、価格が商品の希少性を持ち高騰したため、物量的に

も価格面でも学校給食で利用出来る食材でなくなっていきました。

大阪市でも1976年(昭和51年)を最後に鯨肉の使用を止め、マグロ等に食材を代替えするなどした為、近隣の市町村でも徐々に鯨肉を使用

しなくなっていきました。

(児童数が少ない一部の教育委員会では、その後も数年間は使用されていました。)


商業捕鯨禁止以降は、食育のイベントでごく稀に使用される事はあってもほぼ全国的に学校給食で鯨肉は使われなくなりました。

ここから、鯨肉を食べる事が生活の中で当たり前の食材であったにも関わらず、嗜好性の高い食べ物と言う意識に変わってしまいました。

世界から日本の鯨食文化へのバッシングと動物保護の観点からの意見が、世の中の意見として捉えられる様になり、鯨肉の給食使用に当た

り保護者からの物議を引き起す原因になり易い食材と敬遠されていきました。

(当時の調査捕鯨の事をきちんと理解されている方がおらず、すでに担当者も鯨肉を食べずに来た世代であったため)


 54歳~48歳は実際に短い期間であるが食体験があり、うっすらと記憶にある方が多い。

この方達の共通した意見は

「私たちの時はまだ出てた」

「美味しかった」

「食べているかもしれないが、あまり記憶にない」

「食べた記憶が実感としてわかない」

と回答された方が多く、「不味い」と答えた方はいないですが食体験の数が少ない為、印象に残り難い事が解り、いかに幼少期の食体験が

重要であるか解ります。

 

47歳~30歳はほぼ皆さん、鯨を食べた事がありません。

この方達の共通した意見は

「食べた事ない(記憶にない)」

「(鯨なんか)出た事あったかな?」

「はっきりと覚えていない、興味がない」

「食べたら、ダメなのでは?」

「ひょっとしたら?(1度位はあったかも?)あれがそうかな?」

「ひょっとしたら?マグロだったかも?(違う食材での記憶だったのかも?)」

と回答された方が多く、当時は日本が豊かな事もあり食の選択肢も多く、家族構成の変化から食生活も変わり、食への関心や興味が薄らい

でいきました、鯨肉は食べる機会も無いのなら、食べなくてもいいのではと考えられるようになりました。


 鯨の竜田揚げや唐揚げが学校給食で復活


 2002年(平成14年) ~ 2024年(令和6年) 

2001年(平成13年)兵庫県三田市から始まり、翌年には大阪府下の3分の2の市町村で学校給食に鯨肉の献立を起用する教育委員会が増えていきました。

鯨肉の食文化の継承、食育の意識の高まりから、学校給食向けに配慮された原料を利用する事に賛同する自治体が増えました。

量的制限のある鯨肉だが、毎年利用を続けて今では、当たり前に給食に出るようになりました。

29歳から6歳はほぼ毎年鯨肉が給食に出ている。

(※一部地域において、利用を控える自治体もある。)


この方達の共通した意見は

「普通に給食で、毎年出ていた」

「(普通に)美味しかった。」

「少し硬かったけど、美味しかった」

「(鯨って)美味しいね」

と回答された方が多く、生まれた初めて食べた鯨肉を素直に美味しいと受け入れられ、その後も継続した利用を続けてくれました。


毎年、鯨肉を食べた世代が続いています。

 以上の様に、学校給食で鯨肉がいつまで出ていたかの答えは、戦後の復興から捕鯨の最盛期が始まり1950年頃~1969年までほぼ全国的で

鯨肉は学校給食で利用されており、その後は約30年間使わない期間を経て、そしてまた22年前より、関西では学校給食で鯨肉が使われるよ

うになりました。


その事が世代による鯨肉への(学校)給食の感想を、これ程まで多岐に分かれさせるのです。

これは、鯨肉が戦前から戦後そして現在に至る経緯に、日本の「捕鯨事情」と「鯨食文化の薄れ」、「国内消費量の推移」、「鯨に対する

国際的情勢」が大きく関係していると言わざるを得ません。


大阪の学校給食で鯨がいつまで出ていたかを調べた結果。。。。


驚くべきは、30歳~47歳にかけて、ほぼ全ての方々が、鯨肉を食べた事が無いこと。

その事が、鯨肉の食文化にどのように影響してきたか、皆さんにも考えて頂きたい問題です。


日本は1962年(昭和37年)鯨肉の国内消費量32トンをピークに、その消費量は現在まで減少の一途をたどります。

2020年度(令和2年)農林水産省の食料需給表にある、国民一人当たりの鯨肉の消費量の調べでは、鯨肉10g~20gと統計に表せられない

数字で、数値化すると0で表示するしかないそうです。


しかし皆さんは信じられますか、現在の鶏肉や牛肉の国内消費量を鯨肉が逆転し大きく上回っていた事がある事実、つまり皆さんの大好き

な鶏肉のメニューや牛肉のメニューの全ての料理が、鯨肉を使用したメニューで料理として一般に広く出され、国内で当たり前のように消

費されていた時代のあること。


1962年(昭和37年)のピークまでは当たり前の食べもので、それから62年しか経っていないのに、既に食べ物で無くなってしまった事が恐

ろしく、驚きを隠せません。


国内の一部地域では捕鯨と密接な関りを持つ県(山口県、長崎県、北海道(釧路)、宮城県、和歌山県等)もあり、そこでは世代を途絶え

る事無く食文化は継承されてきましたが、それ以外の地域では食べ物としての関心すら持ってもらえません。


鶏肉や牛肉、卵や牛乳、畜産からの恩恵で現在の食の多くが賄われている事も事実ですが、豊かで当たり前の様に供給される食材のその裏

で、鳥や牛、豚などの飼育環境の悪化や、CO2排出や放牧による自然環境の悪化等も近年では問題視されております。


奥野水産が鯨肉を通じて伝えたいこと


生き物の命を頂いて、命をつなぎ生が有る事に気付いて、人と食料資源のバランスを考え長期を見据え食料資源の利用を考える事は、この

先の未来につながる事だと思います。

現在、児童への食育の重要性が注目され、「もったいない」を教える動きがあります。


食への関心や興味を深める為に今一度、学校給食を生きた教材として食育に取り入れて行く考えです。

簡単に日本古来の食文化を手放すのではなく、多様化する価値観でこれから先、鯨の食文化を手放すべきか、食料資源として有効利用する

か、どうかが問われています。


奥野水産は23年前より、大阪府、京都府、兵庫県で鯨の学校給食を復活させました。

教育委員会へ鯨肉を納入し続け、子供達への食育のお手伝いをさせて頂いております。

これからも、子供達が鯨肉を美味しいと感じ、日本の食文化にふれ食への関心が深まりますことを切に願います。